慌てる先には悲劇が待つ
シンプルな考え方(2) - 2010/03/14 11:33
学生で自動車免許を取りたての頃のことです。
その日私は、母親を助手席に乗せて、意気揚々と「ドライブデート」に繰り出しました。 当時まだ、車を運転するのが楽しくて仕方がない時期。 母親を助手席に乗せている高揚感もあり、
「いいところを見せてやろう」
という思いでいっぱいでした。
家の車庫から出た車は、住宅街の細道を抜け、大通りへ。車線変更も難なくこなし、私も上機嫌でした。そして車は、休憩を取るべくコンビニへ。
さて、再出発!頭から突っ込んで駐車していたので、バックで駐車場から出ようとしたときにそれは起きました。
ガン!
すごい音と共に伝わってくる衝撃。そして、コンマ2秒差で聞こえてくる母親の悲鳴。何が起きてるのかを理解した瞬間に、私はとてつもなく慌てました。多分、それまでの人生で一番。
事実は簡単です。バックで車を出そうとした時に、後ろに駐車してあった別の車の横っ面に、見事に突っ込んだのです。
母親にいいところを見せようとしていたことが台無しになったことを筆頭に、相手方に何かあった場合のこと。ガソリンが漏れて炎上しないか、警察、弁償、父親の顔。そもそも相手方の安否より母親の失望を先に考えてしまった自分への自己嫌悪・・・。
これまで経験したことのない事態に、とにかく慌てまくりました。 そして、「ともかく車を前に出さないと!」とアクセルを踏みました。
ガシャン!!
二度目の衝撃。そして母親の絶叫。 車の左フロント部に、電柱が深々とめり込んでいました。
その後のことは、もう記憶から欠落しています。どういう手続きをしたのか、どうやって家まで帰ったのか、父親に怒られたのかどうかすら、記憶の彼方です。おそらく、適切な対処は全部母親がやってくれたのでしょう。辛うじて覚えているのは、ぶつかった車に幸い人が乗っていなかったことくらいでしょうか。
しかし、ひとつだけ脳内に刻まれたことがあります。
慌てることで正常な判断は瞬時に失われる、と。
あれから10年以上の歳月が流れました。私を知る人はご存知だと思いますが、私は滅多に慌てません。それは、慌てることの恐ろしさを知っているからです。「悪いことは重なる」という言葉は、悪いことが起きたことに慌てた人間が、さらに悪いことを引き起こすことを言っているのではないか?と思うほどです。だから極力慌てないようにしています。
とはいえ、未知の事態に遭遇したら少なからず慌ててしまうのも人間。 そんな時私は、こう考えることで極力慌てずに済むようにしています。
1.その体験が、自分を豊かにしてくれる
2.その未知を乗り切ったことを人に伝えることができる
3.次にその体験に出会ったときに既知のものとして対応できる
先ほどの自動車事故の例で行くと、1.は、「ラッキー!事故を起こしたときの警察を呼ぶ段取りや、保険屋とのやり取りが経験できるぞ。」2.は、「お、これブログに書こう!みんな見てくれるかな?」(当時はまだブログという考え方はありませんでしたが(汗))3.は、「きっちりやれば、今後事故を起こしても大丈夫だな。」のようになります。 このように考えられると、気持ちを切り替えて次の最善手を打つことができるのです。
不謹慎だと思われるかもしれません。いや、事実そうかもしれません。しかし、慌てふためいて二次被害、三次被害を引き起こすくらいなら、考え方ひとつで変えられる未来を選ぶほうが、よっぽど重要だと私は思います。
「慌てる先には悲劇が待つ」
ご参考になれば幸いです。
次の記事:本田直之さんのセミナー、行ってきました
- 人間この信じやすきもの - 書評という名の読書感想文(22)
- ITIL V3実践の鉄則 - 書評という名の読書感想文(21)
- 手にとるように経済がわかる本 - 書評という名の読書感想文(20)

